東京地方裁判所 昭和35年(ワ)5245号 判決 1967年9月23日
昭和三三年(ワ)第五二七七号事件原告 新村藤市
<ほか三名>
同事件原告(反訴被告) 池谷千代次
昭和三三年(ワ)第一〇五〇五号事件原告 古橋彦一
<ほか一名>
両事件原告ら訴訟代理人弁護士 滝内禮作
両事件被告(反訴原告) 国
右代表者法務大臣 田中伊三次
右指定代理人検事 高桑昭
<ほか二名>
主文
(本訴について)
被告は、
原告新村藤市、同山口説夫および同古橋彦一に対し(ただし、別表(3)、(13)、(15)、(21)、(27)記載の土地については原告新村藤市を除く。)、別表(1)ないし(8)、(10)ないし(62)記載の土地を、
原告松本喜平、同大堀戦二および同山口玉市に対し、別表(63)ないし(72)、(75)ないし(77)、(81)ないし(83)、(85)ないし(87)、(89)、(91)、(93)、(94)、102ないし111記載の土地を、原告松本喜平および同山口玉市に対し、別表(78)ないし(80)、(84)記載の土地を、
原告松本喜平および同大堀戦二に対し、別表(73)記載の土地を、
原告大堀戦二および同山口玉市に対し、別表(74)、112記載の土地を、
それぞれ明渡せ。
原告らのその余の請求を棄却する。
(反訴について)
反訴被告は、反訴原告に対し、別表(88)、(95)ないし101記載の土地について所有権移転登記手続をせよ。
(本訴および反訴について)
訴訟費用はこれを一〇分しその九を被告(反訴原告)の負担とし、その余を原告(反訴被告)池谷千代次の負担とする。
事実
≪省略≫
理由
一、別表前所有者(A)欄記載のものらがもと本件各土地を所有していたことは、当事者間に争がない。
二、≪証拠省略≫を綜合すれば、別表(30)、(77)を除くその他の土地につき、前所有者(B)欄記載のものらがその記載の日に同(A)欄記載のものらの地位をそれぞれ相続したこと(ただし、別表(5)、(25)、(43)、(46)、(47)については、池野利平が池野乙蔵の地位を家督相続しその後同(B)欄記載のものらがその記載の日に池野利平の地位を相続した。)別表(30)記載の土地につき池野猪三次が昭和一八年四月八日池野三郎平からこれを買受ける契約をなしたこと(別表(77)記載の土地につき三社神社が巌島神社と合併したことは当事者間に争がない。)、原告池谷千代次を除くその他の原告ら(以下「原告新村ら」という。)がそれぞれ請求の原因第三項(1)ないし(5)記載のとおり別表前所有者(A)欄もしくは(B)欄記載のものらから各土地を買受ける契約をなしたこと、原告池谷千代次が昭和二五年一月一六日池谷新六の地位を相続したこと、以上の各事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
三、被告は、本件各土地のうち、別表(1)ないし(77)、105ないし112記載の土地を昭和一五年三月一三日、その他の土地を昭和一九年一二月、それぞれ別表前所有者(A)欄記載のものら(以下「前所有者」という。)から買収したと主張するのでこれについて判断する。
1、まず、昭和一五年の買収関係について判断する。
(一) ≪証拠省略≫を綜合すれば、次の事実が認められる。
旧陸軍省は、もと静岡県浜名郡三方原村、同積志村、同小野口村、同県引佐郡都田村地先に「三方原陸軍爆撃場、三方原陸軍飛行場及三方陸軍演習廠舎」を、また、同県浜松市曳馬町、同富塚町、同和合、同段子川、同県浜名郡吉野村、同神久呂村、同伊佐見村地先に「飛行第七戦隊、浜松陸軍飛行場及浜松陸軍飛行学校」を、それぞれ保有していた。(なお、≪証拠省略≫を綜合すると、伊佐見村は終戦後湖東村と村名変更がなされたことが認められるが、以下においては村名変更後の事実関係についても単に「伊佐見村」という。)
しかるところ、旧陸軍省は、軍事情勢上の事情から、右各軍用施設の拡充を企図し、昭和一四年九月九日付陸軍大臣通牒により、当時右施設の一部を管掌していた第三師団(通称名古屋師団)経理部長に対し「浜松及三方原陸軍飛行場拡張敷地買収」の実施方を指達した。
第三師団経理部は、これに基づき、都田村(三方原爆撃場北方)、積志村、三方原村(三方原爆撃場南方)、浜松市和合、同市段子川(飛行第七戦隊南方)、伊佐見村(浜松陸軍飛行学校北西方)の各一部区域の民有地を買収することとなり、同年一〇月初旬経理部長陸軍主計大佐清水幸太郎、経理部付陸軍主計中尉林真一、同陸軍軍属浜田武夫らを買収実施担当者と定め、令達予算額一一一万八五〇〇円(ただし、後に一二二万二五〇〇円に増額された。)で買収業務の実施に着手した。
右経理部長らは、まず、現地踏査ならびに所轄官庁における土地台帳、登記簿、戸籍簿の閲覧等をなすことにより、買収予定地の地番、地目、地積、所有者住所氏名、相続関係、抵当権質権等設定の有無等を調査確認し、土地買収価額、地上物件補償額を具体的に算出するなど、買収交渉に先立つ諸々の事前準備をなした。
同人らは、次いで、買収予定地所有者との間における買収交渉をなすこととなったが、その交渉は、買収地域を二分し、最初に都田村、三方原村、積志村の各地区についてこれを行ない、次に浜松市和合、同市段子川、伊佐見村の各地区についてこれを行なう方法をとった。右のうち、後者についての交渉の経過は次のとおりである。
経理部長らは、買収予定地所有者に対し、葉書で、軍事上必要があるので昭和一五年三月一〇日に浜松飛行学校訓練講堂に印鑑を携行のうえ出頭されたいという旨の通知を各別になし、同日参集した買収予定地所有者らに対し、軍用施設拡大のため土地買収の必要があることを説明し、予め定めておいた地目別の買収単価を提示し、質疑応答を経たのち、個々の所有者の特別事情を聴取し、買収価格修正等の処置をなして、各土地所有者から大筋の諒解をとりつけ、売渡承諾書に署名捺印を得て、さらに正式の売買契約締結のため数日後に期日を指定し、和合、段子川地区については第三師団浜松出張所、伊佐見村については伊佐見村役場に再び参集するよう求めた。
経理部長らは、右指定の期日に、参集した各土地所有者との間において正式に各土地の売買契約をなし、売渡証書、登記承諾書にそれぞれ署名捺印を得て、これと登記済権利証、印鑑証明書の交付を受け、土地代金請求書、地上物件補償費請求書を提出させた。
以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
(二) そこで、別表(1)ないし(77)、105ないし112記載の各土地が、右被買収地に含まれているか否かについて判断する。
(1) まず、別表(1)ないし(62)記載の土地(伊佐見村の土地)について検討する。
(イ) ≪証拠省略≫を綜合すれば、次の事実が認められる。
第三師団経理部は、昭和一五年五月六日ごろ、伊佐見村村長山下太吉に対し、前記買収土地のうち伊佐見村内の土地買収代金の支払事務を依頼し、買収代金合計額九万八二八〇円六二銭を一括交付し、同月八日同人に対し、被買収者氏名、地番、支払金額等の明細を記載した買収代金支払明細書を交付した。
伊佐見村長は、同月六日右交付を受けた金員を静岡三十五銀行浜松支店に当座預金をなし、以後右明細書に基づき土地所有者に対し逐次その支払をなしてきた。その後、右明細書に一部誤謬があったことが判明し、同月二七日付をもって右明細書を訂正した土地調書が作成交付され、買収代金合計額も九万八六八二円六二銭に訂正される等の経過があったけれども、結局、伊佐見村長は、昭和一六年五月五日別表(1)ないし(62)の前所有者欄記載のものらを含む伊佐見村の土地被買収者らに対し、右代金支払事務を完了した。
(ロ) ≪証拠省略≫を綜合すれば、次の事実が認められる。
伊佐見村長は、昭和一五年一〇月三一日から昭和一七年六月三〇日に至る期間、数次にわたり、同村内の土地について国有地成(官地成)のため非課税とする旨の処分をなしたが、右土地のうちには、別表(1)ないし(62)記載の土地が含まれていた。
(ハ) ≪証拠省略≫を綜合すれば、次の事実が認められる。
別表(1)ないし(62)の前所有者(A)欄もしくは(B)欄記載のものらを含む伊佐見村の土地被買収者らは、昭和二〇年一二月から昭和二一年一月に至る期間、名古屋財務局長に対し国有財産使用申請書を提出し旧軍用地の使用許可および払下申請をなしたが、地番を特定して右許可等を求めたもののうちには、別表(2)および(3)、(5)ないし(8)、(10)ないし(34)、(40)ないし(43)、(45)ないし(48)、(50)ないし(53)、(55)、(57)および(58)、(60)および(61)記載の土地が含まれていた。
(ニ) ≪証拠省略≫を綜合すれば、次の事実が認められる。
名古屋財務局静岡管財支所浜松管財出張所長は、昭和二一年五月一日西遠事務所長に対し、旧陸海軍において買収済の土地等のうち所有権移転登記未了のものについて過誤により旧所有者に対し課税処分がなされた事例があったので、このような事態を防止善処するために管内市町村の買収済土地等についての調査をなすように依頼した。そこで、西遠事務所長は同月二日その旨を管内市町村長に通知した。伊佐見村長は、これに基づき、同月一八日名古屋管財局長に対し、また同月一九日西遠地方事務所長に対し、それぞれその旨の調査報告をなし、さらに同年七月四日同管財局長に対し地番、地目、地積等を詳細に調査した報告をなしたが、買収済未登記の土地のうちには別表(2)ないし(62)記載の土地が含まれていた。
(ホ) ≪証拠省略≫によれば、次の事実が認められる。
伊佐見村長は、昭和二五年八月三日東海財務局静岡財務部浜松出張所長に対し、同村内の土地のうち軍用財産となっている土地の報告をなしたが、右のうちには別表(2)ないし(51)記載の土地が含まれていた。
(2) つぎに、別表(63)ないし(77)、105ないし112記載の土地について検討する。
(イ) ≪証拠省略≫によれば、浜松市備付の土地台帳副本には、別表105記載の土地は「旧陸軍用地につき課税なし」との記載がなされていることが認められる。
(ロ) ≪証拠省略≫によれば、東海財務局浜松出張所長は、昭和二七年一〇月一五日浜松市役所税務課に対し、別表(64)および(70)記載の土地は登記未了であるが国有地であるから旧所有者に対する課税処分については善処されたい旨の通知をなしたことが認められる。
(ハ) ≪証拠省略≫によれば、小楠橘次は別表106および110記載の土地につき、また、小楠寅太郎は別表(64)、105および111記載の土地につき、いずれも昭和二八年二月二一日浜松市長に対し、右各土地は登記未了であるがすでに陸軍省に売却済の土地であるとして固定資産税の減免方を申請したことが認められる。
(ニ) ≪証拠省略≫を綜合すれば、別表(63)ないし(77)、105ないし112記載の土地の周辺の土地は、いずれも昭和一五年四月から昭和一六年四月に至る間に国有地成として処置されている旨浜松市備付の土地台帳に記載されていることが認められる。
以上各認定事実に反する証拠はない。
2、ついで、昭和一九年の買収関係について判断する。
(一) ≪証拠省略≫を綜合すれば、陸軍航空本部は、昭和一九年、浜松陸軍飛行学校敷地拡張のため、同校南東部と南西部との民有地の買収を企図し、第三師団経理部が昭和一五年になした前記買収方法と同様の方法で、各土地所有者からこれを買収したことが認められ、右認定に反する証拠はない。
(二) そこで、別表(78)ないし104記載の各土地が、右被買収地に含まれているか否かについて判断する。
(イ) ≪証拠省略≫によれば次の事実が認められる。
池谷秋次郎は、昭和二八年二月一〇日浜松市長に対し、同人は別表(83)、(86)、(87)、(95)および102記載の土地につき所有権を有しないとして固定資産税の減額方を申請した。また、池谷新六は昭和二五年四月一五日浜松税務署長に対し別表(88)、(95)ないし101記載の土地はいずれも昭和一九年二月陸軍省によって買収され国有地となっている旨の申告をなし、昭和二五年五月三日名古屋財務局静岡支部浜松出張所長から右申告内容事実の証明を得た。さらに、東海財務局静岡財務部浜松出張所長は、昭和三二年六月二二日浜松税務署長に対し、別表(78)、(79)、(80)および(84)記載の土地はいずれも陸軍省が買収し国有財産となっている旨の証明をなした。そして浜松市は右申請ないし証明に基づきこれらの土地については固定資産税の納付を免除する措置をなした。
(ロ) ≪証拠省略≫によれば、静岡地方法務局浜松支局備付の閉鎖土地台帳および浜松市備付の土地台帳副本には、別表(88)、(95)ないし101記載の土地はいずれも昭和一九年一二月買上げられ国有地となった旨の記載がなされていることが認められる。
(ハ) ≪証拠省略≫によれば、別表(78)ないし104の前所有者(A)欄もしくは(B)欄記載のものらの大部分は、昭和二一年一月名古屋財務局長に対し浜松市和合町寸田谷字西平および西地先の国有地の使用および払下の許可申請をなしていることが認められる。
(ニ) ≪証拠省略≫を綜合すれば、別表(78)ないし104記載の土地の周辺の土地は、いずれも昭和一九年一二月に国有地成として処理されている旨浜松市備付の土地台帳に記載されていることが認められる。
以上各認定事実に反する証拠はない。
3、以上1および2の事実を綜合すれば、被告は昭和一五年三月一〇日ごろ別表(1)ないし(77)、105ないし112記載の土地を、また昭和一九年一二月別表(78)ないし104記載の土地を、それぞれ前所有者らから買受ける契約をなしたものと推認される。
もっとも、本件各土地について前所有者らから被告に対する所有権移転登記がなされていないことは当事者間に争がなく、また、右売買契約の存在を証する売買契約書等の書面は証拠として提出されていない。
しかしながら、≪証拠省略≫を綜合すれば、次の事実が認められる。
第三師団経理部および陸軍航空本部は、前記土地買収直後所轄登記所に対し所有権移転登記の嘱託をなした。登記所は嘱託を受けた書類を精査し、相続により所有者に変動が生じた場合もしくは地目、地積等に誤記が存した場合等により嘱託書類上の記載と登記簿上の記載とが不一致のもの、または登記承諾書の印影と登録印鑑の印影とが不一致のもの等については、それぞれ嘱託書類に符箋を附して名古屋市の第三師団もしくは東京都の陸軍航空本部に郵便で返送し、もしくは係官が訪れた都度直接返却してその訂正を求めた。また、第三師団および陸軍航空本部は、買収土地に抵当権もしくは質権等の担保物権が設定されている場合には、売主からその解除を得て所有権に瑕疵がないものとしたうえで登記の嘱託をなす取扱をなしていたが、売主が解除を怠ることにより登記の嘱託が遅れているものもあった。右のような事情で登記未了のものは全買収地の三割ないし四割にのぼっていた。一方、第三師団経理部は右未登記分の土地に関する書類を倉庫に保管しておいたが、右倉庫は昭和二〇年二月一八日爆撃を受け、右書類は焼失した。他方、航空本部は、終戦の翌日である同年八月一六日から軍関係の書類を全部焼却し、右買収に関する書類もすべて焼却された。
以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。したがって、登記未了、売買契約書(売渡証書)不存在の事実は、被告が本件各土地を買受けたという前記認定の妨げとなるものではない。
四、原告らは前所有者らがなした本件各土地売渡の意思表示は被告が当時憲兵を使って買収に応じないものは投獄する旨強迫したことによるものであり、右意思表示は、のちに右強迫を理由として取消されたと主張する。しかしながら右強迫の事実は本件全証拠によってもこれを認めることができない。
もっとも、≪証拠省略≫によれば、昭和一五年三月一〇日浜松飛行学校訓練講堂においてなされた前記土地買収交渉には、制服を着用した亀山分憲隊長および憲兵ら四、五名が立会っており、土地所有者らの私語を注意したこと、原告山口説夫が買収について異議を述べたところ、分憲隊長が「前へ出て来い、貴様共産主義じゃないか。」と述べて前へ引出し、伊佐見村助役に同原告の人柄を質し、同助役が同原告は篤農の一人である旨述べたことにより同原告は自分の席に戻ることを許されたこと、土地所有者らは個別に呼出されて説得を受け売渡承諾書に捺印を求められたこと、以上の事実が認められる。
しかしながら、≪証拠省略≫によれば、買収交渉の際には活発に質問がなされたこと、第三師団は、土地所有者一人一人に対し、戦争が激しいので軍用地の拡張が必要であり、戦争が終了すれば返還をなすこともありうるから国策に協力してほしい旨述べて説得をつくしたこと、園芸を営んでいた根木和一に対しては、花草木の補償につき、第三師団と同人との間に数回の接衝が持たれたりして個別的な特別事情も考慮していたこと、買収価格は時価によったこと、以上の事実が認められる。
してみると、本件土地売買契約は被告側の高圧的な態度によって締結されたものではなく、土地所有者らとしては不承不承ではあるが時局に順応し、国家に協力しようとする意図をもって右契約を締結したものであるとみるのを相当とし、買収交渉の際に臨席した憲兵の前記言動等のみでは、土地所有者らの売渡の意思表示が強迫によってなされたものということはできない。
五、原告新村らが、別表(88)、(95)ないし101記載の土地を除くその他の土地を請求の原因三(1)ないし(5)記載のとおり別表前所有者(A)欄もしくは(B)欄記載のものらから買受ける契約をなしたことは、前記二において認定したとおりである。
被告は、右売買契約は通謀虚偽表示もしくは訴訟信託であって無効であると主張するのでこれについて判断する。
≪証拠省略≫を綜合すれば、次の事実が認められる。
従来、陸軍が使用していた本件軍用地は、昭和二〇年八月一五日終戦により、不要なものとなり、そのため、本件軍用地は一時旧軍人により農耕されたこともあった。しかしながら、被告としては、当時は、軍用地として借上げたものはこれを所有者に返還し、買収したものはこれを買収前の所有者に払下もしくは貸与する方針をとっていた。そこで、被告は、当時関係市町村長に対し右の方針を通知した。右通知により、本件各土地の前所有者(以下本項においては別表(B)欄記載のものらをも含めて「前所有者」という。)の大部分は、前段三ノ(二)(1)(ハ)、三2(二)(ハ)において認定したとおり、名古屋管財局長に対しその払下もしくは使用許可の申請をなした。ところが、被告は、同人らに対してはその払下も貸与の許可もなさなかった。
一方、本件軍用地は、昭和二〇年九月二〇日以降は占領軍がこれを使用するに至ったが、一部の土地は雑草が生育し未使用の状態であった。そこでこれらの土地についての前所有者らは占領軍(のちに駐留軍)の許可を得て、これらの土地を農耕してきた。ところが、被告は自衛隊発足のころ(自衛隊法公布の日は昭和二九年六月九日である。)、同人らに対し突如として右土地の使用を禁止し、鉄条網をもって右土地を囲障してしまった。
ところで、本件各土地はいずれも所有権移転登記が未了であり、土地台帳上も所有名義人は前所有者らとなっており、そのためこれらの土地について固定資産税の課税がなされ、これに対し前所有者の一部がその減免申請をなしたことは、前段三1(二)(2)(ハ)、三2(二)(イ)において認定したとおりである。さらに終戦直後薯類の供出制度が採られた際、その供出の割当量は土地台帳に基づきその所有土地の面積に応じて割当てられたが、前所有者らに対しては、すでに売渡ずみの本件土地についても前所有者がこれを所有しているものとして、割当量が決定通知されていた。これらのことから、前所有者らはすでに売渡ずみの本件各土地について所有権移転登記がなされていないことを覚知した。
そこで、前所有者らは、本件各土地売却当時の事情、被告が終戦後買収地の返還の意向を示していたこと、前所有者らの一部のものは一時は占領軍(のちに駐留軍)の許可を得て農耕をなしたこと、登記簿上は本件各土地は前所有者らの所有名義となっていること等の理由により、一致して被告に対しその返還を請求することとなり、昭和三二年ごろ、浜松基地内民有地返還促進委員会を結成し、もと浜松警察署長でありその後浜松市長選挙、静岡県会議員選挙に立候補して前所有者らから信望を得ていた大石覚を委員長に選出した。大石は同年一二月一六日から昭和三三年三月三日に至る間、防衛庁に対し本件各土地は被告に売渡しているものではなく前所有者らの所有に係るものである旨主張してその返還を請求し続け、前所有者らも個別に同月二一日防衛庁長官に対しその返還を請求してきたが、いずれも功を奏することができなかった。
そのため、前所有者らはその返還要求方法について協議をなしたところ、訴訟を提起して裁判により返還を求めるべきであるとの原告らの意見と、これ以上返還要求をしても徒労であるとしてあきらめ訴訟提起に反対し返還要求運動から脱退したいとするその他のものらの意見とに分かれた。原告らは、原告らを除くその他の前所有者らに対し、ここで挫折しては今までの努力や経費の支出が無意味になるとして、再三にわたり返還要求運動に継続参加を呼びかけたが同人らはこれに応じなかった。そこで原告新村らは、返還運動から脱退を希望しているものらから、同人らの土地所有権を買受け、最後まで本件全被買収地の返還を求めることとし、昭和三六年三月二六日同人らとの間において、代金は反当七万円の割合とし、その支払方法は手付(もしくは内金)として反当二万円の割合による金員を即時支払い、残額は同原告らが現実に本件各土地の返還ないし土地代金の補償を受けたときに支払う旨の売買契約を締結し、そのころ右手付(もしくは内金)の支払をなした。その際同原告らは以後の返還要求運動過程において再び脱落するものが生ずることを防止するために、右買受の土地はもとより、従来自らの単独所有名義となっていた土地についてもすべて同原告らの共有とすることとし、前記二において認定のとおり売買契約を完了した。
一方、原告池谷は前所有者からの買受および共有の方法には参加しなかった。以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
右認定事実に基づけば、原告新村らのなした右売買契約は、真に所有権を移転することを目的としてなされたものであるから、通謀虚偽表示ということはできない。また右契約における売主らは、いずれもその所有土地につき、被告に対する返還要求、少くとも訴訟による右要求をすることを断念し、相当の代金をもってこれを同原告らに売却したものであって右売買は同原告らの所有権の行使に何ら制限を加えるものではなく、訴訟行為をなさしめることを主たる目的としているものではないから、訴訟信託ということもできない。
六、以上の次第であるから、被告は前所有者から本件各土地を、また原告新村らは前所有者もしくはその承継人から別表(88)、(95)ないし101記載の土地を除くその他の土地をそれぞれ有効に買受けたものであって、いわゆる二重売買に該当する。
ところで、同原告らが右買受の土地のうち別表(9)、(90)、(92)記載の土地を除くその他の土地(ただし、原告新村藤市については別表(3)、(13)、(15)、(21)、(27)記載の土地を除く。)につき右売買契約に基づく所有権移転登記を経由していることは、当事者間に争がない。
してみると、同原告らは、これらの土地については被告に対してその所有権をもって対抗することができるが、別表(9)、(90)、(92)記載の土地については対抗することができないこととなる。
被告は、原告らは、本件各土地はすでに被告に買収され前所有者らがその所有権を有しないことを知りながら、たまたま登記簿または土地台帳上に前所有者の名義が残っていることを奇貸として、売買名義で原告らの単独所有あるいは共有の登記をしたものであるから、原告らは登記によって保護されるに価しない背信的悪意の第三者であるというべきであり、したがって、原告らが所有権移転登記を有することは、被告にとってその所有権を主張するについて何らの妨げにならない、と主張する。
ところで、第三者が登記の欠缺を主張するにつき正当な利益を有しない場合とは、当該第三者に、不動産登記法四条、五条により登記の欠缺を主張することの許されない事由がある場合、その他登記の欠缺を主張することが私権の公共性を無視し、公序良俗違反となり、信義則に反し、もしくは権利の濫用に該当する事由がある場合に限られる。ところが、前段認定の事実関係のもとでは右事由が存在するということはできない。すなわち、本件各土地の前所有者らは昭和一五年および一九年の当時の時局の重大性にかんがみ国家に協力するため終戦後はその返還を受けることを期待しつつ本件各土地の買収に応じたものであること、被告は前所有者らに対し一旦は本件各土地の返還を言明しながら前所有者らの熱心な返還請求に対し返還することができない理由を示すこともなくいたずらに時を過ごし、自衛隊発足当時に至りにわかに鉄条網を張りめぐらせて、占領軍(のちに駐留軍)から許可を得て相当期間耕作をしていたものに対してまでもその使用を禁止したこと、原告新村らが本件各土地の明渡を受ける利益に比して被告の蒙る被害が著しく大であるとの立証はないこと、これらの事実関係からすれば、同原告らが前所有者から本件各土地を買受けて共有の登記をなしたうえ被告に対して登記の欠缺を主張することは、私権の本質である公共性を無視し、公序良俗違反となり、信義則に背反し、もしくは権利の濫用に該当する事由となるとは、到底考えることはできないからである。したがって、被告のこの点に関する主張は理由がない。
なお、原告新村藤市は、別表(3)、(13)、(15)、(21)、(27)記載の各土地を被告に売渡したものであり、また、原告池谷千代次は別表(88)、(95)ないし101記載の土地を被告に売渡した池谷新六の相続人であるから、いずれも売買契約の当事者もしくはその包括承継人であって第三者ではない。したがって登記による対抗の問題は生ぜず、同原告らはこれらの土地については被告に対しその所有権を主張することができない。
七、被告が本件各土地を防衛庁航空自衛隊用地として使用しもってこれを占有していることは、当事者間に争がない。
したがって、本件各土地のうち、所有権移転登記を経由していない別表(9)、(90)、(92)記載の土地および池谷新六が売渡した別表(88)、(95)ないし101記載の土地を除くその他の土地について、被告において占有権原の主張立証のない本件においては、被告はこれらの土地を原告新村ら(ただし、別表(3)、(13)、(15)、(21)、(27)記載の各土地については原告新村藤市を除く。)に対し明渡すべき義務を負うこととなる。よって同原告らの本訴請求中、別表(9)、(90)、(92)記載の土地および原告新村藤市の前記土地に対する請求部分を除く部分の請求は、いずれも正当であるからこれを認容すべきである。
しかしながら、同原告らの請求中右除外部分および原告池谷千代次の請求は、いずれも理由がないからこれを棄却すべきである。
八、被告(反訴原告)が昭和一九年一二月池谷新六から別表(88)、(95)ないし101記載の土地を買受ける契約をなしたことは前記三2において、また、右契約が強迫によるものでないことは前記四において、さらに、原告(反訴被告)池谷千代次が昭和二五年一月一六日池谷新六の地位を相続したことは前記二において、それぞれ認定したとおりである。そして、同原告が右各土地につき同原告のために所有権移転登記を経由していることは当事者間に争がない。
してみると、同原告(反訴被告)は、被告(反訴原告)に対し右売買契約上の義務として右土地について所有権移転登記手続をなすべき義務を負うこととなる。したがって被告(反訴原告)の反訴請求は理由があるからこれを認容すべきである。
九、よって、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条をそれぞれ適用し、仮執行の宣言は不必要であるからこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 西山要 裁判官 山口忍 裁判官福田健次は転任のため署名捺印することができない。裁判長裁判官 西山要)
<以下省略>